今日は母の誕生日。

ワンマンに来てくれた人は知ってるけど、
それ以外ではどこにも言ってなかったんだけど、実は去年の夏に母は亡くなったんです。

ちょうどコロナになっちまった時でさ、
何とか火葬だけコロナの療養期間が終わるまで待ってもらって立ち会えたんだけど、
暑い時期だったってのもあって顔は見れなかったんだ。

母はさ、本当にいつも味方でいてくれました。
学生の時なんて、2ヶ月に1回ぐらい呼び出しをくらうぐらいヤンチャしてたんだけど、
見放すことなくいつも学校に来て謝ってくれてました。

今考えるとすごく申し訳ないなって思うよ。

道を逸らしかけた俺が音楽を本格的にやり始めて、そこからはずっと1番そばで応援してくれてた。

ライブ前の楽屋に勝手に入ってきて
他の出演者もいるのに平気で俺や他の出演者に絡んできて、
後ろの方で観てろって言ってもステージ立ったら1番前で一番盛り上がってて。
ライブが終わったら、ファンの人に自分から母と名乗っていつも飛鳥を応援してくれてありがとうって話しかけたり。

マジで勘弁してくれ。とその時は思ってたよ。
そりゃそうだよ。恥ずかしいよね。笑
でも、嬉しかった。

あの日を思い出すと、今でも涙が溢れそうになるよ。

1番最後に会ったのは亡くなる2ヶ月前かな。
リハーサルと打ち合わせの合間に会いに行った。
すぐ戻らなきゃだったから、帰ろうとした時の寂しそうに手を振るあの姿、きっと死ぬまで忘れねぇよ。

18歳になって、やっとこれから親孝行出来ると思ってたのにさ。
死ぬんじゃねぇよ。が本音。
でも、現実は変えられない。
受け入れ前に進むしかないんだ。

だから残された父に母の分も沢山親孝行していこうと思うよ。
母の分も父を愛していく。

あっ、これ初めて言うけど、母は元々バンドのボーカルで、俺が産まれるタイミングで音楽辞めちゃったんだけど、俺が小学生になった時ぐらいからは、ジャズシンガーとして活動してたんだよ。

実は母 俺 TAWAKE  HailMary.の4組でライブやった事もある。

母は若い頃ずっとメジャーデビューを夢見てたらしいんだけど、叶わなかった。
きっとすごく悔しかったんだろうね。
いつも「私のメジャーの夢は飛鳥に託す」って言われてたんだよね。

今の時代、メジャー行くのが正義だとは思ってない。
だけど、母とした最後の約束なんだ。
俺は絶対メジャーに行く。



















まだ、現実を受け入れ切ったかと言われると、受け入れ切れてはないけど、
俺はもっと強くならなきゃいけない。
神様と母からの試練だと思ってほふく前進のように進んでいく。

死ぬ気で生きるよ。俺はまだ死なねぇから。


こんな一方的な私情を言おうかずっと迷ってた。
でも伝えたいと思った。

きっとこんなクソみたいな世界だから、
死にたくなっちゃうことあると思うんだよ。
俺もあるよ。

だけど、俺が死にたいと思った今日は
母が死ぬほど生きたかった未来なんだ。

そう思ったら死ぬ訳にはいかない。

だからあなたも俺の母の分まで生きて、笑ってください。
辛い時にあなたに寄り添える曲を俺はもっと強くなって作るから。
何があっても死ぬ気で生きてください。







いつか出来るだろうお嫁さんや子供には、母にしてもらったように不器用ながら心から愛せるよう、守れるように強くなる。

心に負った傷は倍にして色んな人へ優しさで返してく。

母さん、誕生日おめでとう。
俺を産んでくれてありがとう。
俺が今世やり切ってそっちに行った時、
目いっぱい褒めてくれ。

俺はまだまだ頑張るから、心配せずに休んでね。

0コメント

  • 1000 / 1000